人工知能の勉強備忘録

松尾豊氏の書籍「人工知能は人間を超えるかディープラーニングの先にあるもの」を読んで人工知能に興味を持ち、勉強したメモを忘れぬように備忘録としてまとめる

マーケティング戦略上、「人工知能」を名乗る新しいアプリ

最近ニュースでこんなアプリが出たというのを見た。
 
人工知能エンジン搭載アプリ『SELF』に美少女AIが登場!“リアルな彼女”に近いコミュニケーションを実現
 
おそらくこのアプリに実装されているAIは、松尾先生の分類で言うと、対応パターンが多いだけの「弱いAI」にあたると思われる。
まさにこれが、他の記事で書いたマーケティング上、「AI搭載」と語るパターンだ。
 
サイト上にも特徴としてこのように記載されている。
 
●ユーザーに合わせた価値観を追求
●共有した価値観をもとにしたコミュニケーションが可能
●会話の履歴から、考え方や価値観の変化を指摘
●ユーザーの嗜好に合った情報を収集
●イベントや誕生日等に対し反応能力が向上
 
これまでにもあった擬似彼女的なアプリの延長線上にいる印象だ。
 
人間がロボットに感情があるかどうか、というテーマで大阪大学の石黒教授が研究をしている。
石黒教授は、あの有名な「マツコデラックス」を開発している人で「どうすればロボットに心が宿るのか」というテーマで研究をしている。
 
全部書くと非常に長くなるので割愛するが、石黒教授の著書「人間と機会のあいだ 心はどこにあるのか」という書籍が非常に興味深い。著書の中でこのようなことを語っている。
 
自分自身に心があるかどうかは分からない。
でも、人やペットを見ていると心が宿っているように見える。
ということは、心というのは主観的なもので、社会性を伴う動きをするものに、心を感じるのではないか。
 
 
「心」について、これまで深く考えたことがなかったが、なるほどなと感じた。
AIの研究が進めば進むほど、人工知能搭載のロボットが増え、ロボットは我々人間の生活と近いところに増えてくる。
 
「心」というテーマに向き合ってみたいという人は、ぜひ前述の石黒先生の著書を読んでみて欲しい。 

シンギュラリティは本当に起きるのか?

シンギュラリティ(技術的特異点)という言葉がある。

まず、シンギュラリティとは何かという点だが、Wikipediaによると・・・

 

技術的特異点は、汎用人工知能en:artificial general intelligence AGI)[5]、あるいは「強い人工知能」や人間の知能増幅が可能となったときに起こるとされている出来事であり、ひとたび優れた知性が創造された後、再帰的に更に優れた知性が創造され、人間の想像力が及ばない超越的な知性が誕生するという仮説である。 フューチャリストらによれば、特異点の後では科学技術の進歩を支配するのは、人類ではなく強い人工知能ポストヒューマンであり、従ってこれまでの人類の傾向に基づいた人類技術の進歩予測は通用しなくなると考えられている。 

 技術的特異点 - Wikipedia

 

小難しい書き方がされているが、ざっくり言うと、人工知能(AI)の発達・進化で、人工知能自身が、自分より僅かにでも高性能な人工知能を開発できるようになった時点で、信じられない速さで再帰的に高性能化が繰り返され、あっという間に人類が支配されてしまうのではないか、ということだ。

 

確かに、機械自体が自分より高性能なモノを作成できるようになれば、驚異的な速度で高性能化は進むと思われる。

 

しかし、私はシンギュラリティが起こったとしても、人類が機械に支配されるような日は来ないと思っている。

 

というのも、松尾先生の受け売りになるが、人間が人や資源、果てはお金を支配したいと考えるのは、「種の保存」のためである。

 

どういうことかというと、自分の種を残すため、より安定した環境にいたい。そのためには、資本主義である現代においてはたくさんお金があったほうが安全。

であれば、たくさん稼ごう。ということ。

価値観は多様で、様々な考え方があるが、基本的にはこういう原理で動いている。

 

これは動物も同じで、種を残したいために、メスにうまくアピールできるオスや、縄張りを確保できるオスの遺伝子が残っていく。

 

しかし、機械には、「種を残したい」という感情はない。

結果、どんなに機会が進化しようとも、人間を攻撃する理由がないし、人類を支配する意味も必要性もない。

 

・・・と私は思っているのだが、今、私が想像しているレベルの遥かに上を行く水準の、ほぼ人間並みの知能を持ち合わせたAIが出てきたら・・・シンギュラリティは起きるかもしれない。

 

ちなみに、人工知能学者の間でも意見が割れている。

最近、この 10MTVオピニオン という動画サイトで色々な学者の主張を聞いているが、

 

東大教授の松尾豊氏、同じく東大教授の柳川範之氏は起きないといっている。

一方、内閣府参与というなにやらすごそうな肩書きの齋藤ウィリアム浩幸氏は起きると言っている。

 

20年後くらいには、結果が出ているであろうから、今から楽しみにしている。 

「人工知能が人間から仕事を奪う」は本当か

人工知能についての議論の中で、「人工知能の発達により多くの仕事は人工知能(AI)に代替されて人類の仕事が奪われる」という主張がある。

 

これは、イギリスのオックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授が「これから20年以内に全労働者の半数近くの仕事が自動化され、雇用が奪われる」という発表をしたからだ。

 

となると、「20年以内にAIに奪われない仕事に就かないと・・・」とか考えがちだが、人工知能の発達で機械が対応できる業務の幅が広がっただけで、実はこれまでにも機械化の波は何度も訪れている。

 

例えば、産業革命。それまで多くの労働者は肉体労働で生計を立てていたが、産業革命の結果、多くの機械が導入され、労働者は仕事を失うことになった。

 

国内においても、昭和に存在した「電話交換手」や、「エレベーターガール」などの職業は現在ではほぼ存在しておらず、機械化で失われている。

 

このように、AIに限らず、機械化によって雇用が奪われるということは今もおきていることであり、特段驚くことでもない。

 

では、仕事を奪われた労働者はどうなったかというと、当然、収入がないとやっていけないので別の仕事に就くことになる。

 

人類全体として考えると、機械化できるところは機械に任せておいて、人間でしか対応できない高度な業務のみを人間が行う方が効率が良い。

 

大きな視点で考えると「仕事を奪われた」と考えるのではなく、「機械化可能な単純労働から開放された」と考えるべきである。

 

とはいえ、職を失ってしまっては日々の生活が回らない。

 

では、どう対応すべきかというと「機械に使われる側ではなく、機械を使う側に回る」ということになる。

 

機械を使う側に回るというのは、機械がアウトプットしてきたデータを見て、高次な判断を行うような仕事。例えば、企業経営などはまさにこの部分に当たる。

 

現状の機械は、限られた条件下で最大のパフォーマンスを発揮することは得意だが、全く違う視点で物事を考えたりすることは出来ない。

 

少し前に話題になった囲碁で考えると、ディープラーニングを使った学習で「囲碁」に限れば人類を超えているかもしれないが、機械はいきなり囲碁を打つのをやめて、違う行動を行うことは出来ない。

 

経営のように、多角的に物事を見て、総合的な判断を行うというのは、現状の機械には実行できない領域である。

 

それから、もうひとつ付け加えておくと、機械に仕事を奪われるという表現は正しくない。正しく言うと、仕事を奪っているのは「機械を作っている人間」なのだ。

 

冷静に考えれば分かることがだ、コンピューターに「人間から仕事を奪ってやろう!」などという考えは一切ない。

 

あくまでも、人間が労働を機械化するという目的を持って人工知能を搭載したデバイスを開発して、労働の一部が機械化されているのだ。

 

世の中のニュースでは、ロボットが悪いような表現が見受けられるが、この点は正しく認識して欲しい。

 

 

ディープラーニングとは何か

ディープラーニング(深層学習)とは何か?

 

これまでに二度あった人工知能ブームは、世間の期待値に対して、実現できることが極めて限定的でなおかつ、構造上、メンテナンスが大変であったため、「人工知能は役に立たない」という結論を持ってブームは去ってしまった。

 

ここから数十年、人工知能研究者は冬の時代を過ごすことになったわけだが、ついにこの冬の時代が終わる日が来た。

 

きっかけは、ディープラーニング(深層学習)

この技術は従来の考え方と根本的に異なり、人間がプログラミングして機会に学ばせるのではなく、機械自身に学ばせる、というもの。

 

Googleの関連会社であるDeepMind社が開発したこの技術を使った囲碁ソフト(AlphaGo)が囲碁のプロ棋士、それも世界トップレベルの棋士を打ち破って大きなニュースになった。

 

では、ディープラーニングとは一体何か。

 

ディープラーニングとは、適切な特徴抽出能力を持つ教師なしニューラルネットワークを多層にして構築したものです。 

などと言われたら、即ページを閉じたくなるでしょう。そもそも、上記の説明でもディープラーニングの説明としては不十分です。今の段階では、「機械が物事を理解するための学習方法」だと考えて下さい。

まず、ディープラーニングを理解するためには、ニューラルネットワークを理解しなければなりません。逆に、ニューラルネットワークを理解してしまえば、ディープラーニングの概要自体はかなり分かりやすくなります。

ニューラルネットワークと言うのは、人の神経を模したネットワーク構造のことです。それを踏まえて、そう言う構造を持った人工知能のこともそう呼びます。このニューラルネットワークでは、神経細胞を模したパーセプトロンと言う小さな計算機をたくさん用意し、一つの計算を協力して行わせるように作られています。

引用:深層学習(ディープラーニング)を素人向けに解説(前編)―基礎となるニューラルネットワークについて

 

松尾先生の著書では「特徴量表現学習」という表現をしているが、入力層と出力層の間に、隠れ層を設け、隠れ層では、入力層よりデータ量を減らす。

すると、データの特徴量を圧縮する際に、重み付けを行いより正確な特徴が抽出できるというもの。

この層を多段に設けることで最終的に特徴量としてベストなデータのみを残すことが出来るようになる。この自動符号化機を通すことで、ライオンと猫の赤ちゃんを見分けるような、従来の画像認識では難しかった領域が実現できるようになった。

 

実際に、2012年のIRSVRC(画像認識エンジンが競い合うコンペ)では、圧倒的なスコアでディープラーニングを搭載したエンジンが勝利した。

このことからも分かるとおり、ディープラーニングの実現は画期的なもので、これまで不可能だと思われていたことが実現できるようになったのである。

 

 

 

 

 

人工知能とは何か


Wikipediaには、人工知能はこのように説明されている

 

人工知能」という名前は1956年にダートマス会議ジョン・マッカーシーにより命名された。現在では、記号処理を用いた知能の記述を主体とする情報処理や研究でのアプローチという意味あいでも使われている。日常語としての「人工知能」という呼び名は非常に曖昧なものになっており、多少気の利いた家庭用電気機械器具の制御システムやゲームソフトの思考ルーチンなどがこう呼ばれることもある。

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E7%9F%A5%E8%83%BD

人工知能の研究はこの60年で行われているもので、意外と歴史は短い。

 

一方、ロボットについて言えば、12世紀頃からヨーロッパで作られたオートマタ・オートマトンや、日本のからくり人形などかなり古くから開発されてきたが、「知能」と呼べるものではなかった。

 

話を人工知能の定義に戻すと、人工知能の定義を明確にするため、1950年代にアラン・チューリングが発表した「チューリングテスト」というのが非常に有名だ。

 

これは、機械(コンピューター)が人工知能であるか(知的と判断できるか)を判定するための手法で、人間の判定者が、一つの機会とひとりの人間と普段使っている言語(機械語ではなく)を使って会話をする。

 

 もちろん、発話しての会話は困難なので、ディスプレイとキーワードを介して交信(コミュニケーション)する。

 

この結果、判定者が人間と機械を見分けられなければ、テストの結果は合格で、見分けられてしまうと、不合格となる。

 

本来、「人工知能」と呼べるかどうかは、このように、知能と呼ぶに相応しいものか吟味されるべきである。

 

しかし、近年、人工知能搭載と称した家電などでは、人工知能とは程遠い低次元の制御システムを搭載して売り出しているものが多数存在する。

 

東京大学 大学院工学系研究科 技術経営戦略学専攻 准教授 松尾豊先生も著者「人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの」の中で解説しているが、人工知能という表現が曖昧になっているのだ。

 

各レベルの概念をざっくり説明すると、このようなイメージだ。

  1. 単純な制御のみを搭載したプログラム
  2. 対応可能なパターンが膨大にあるプログラム
  3. 人間が設計した特徴量を使って機械学習し、対応パターンを自動的に学習するプログラム
  4. 対応パターンの学習に使う特徴量自体も自動で学習するもの(ディープラーニングGoogleの猫認識がこれにあたる)

 

このように、今現在、「人工知能」という呼び名は様々なレイヤーのものを指しており、こんなものが?と思えるものまで呼ぶことがあるので注意が必要である。